中村 俊輔(なかむら しゅんすけ、1978年6月24日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の日本のプロサッカー選手である。ポジションはミッドフィールダー。J2リーグ・横浜FC所属。元日本代表。 2000年と2013年にJリーグMVPを獲得。Jリーグ史上初のMVP複数回受賞者。ほかにアジアカップ20 77キロバイト (8,937 語) - 2022年2月20日 (日) 16:57 |
ロッカールームに戻ると、スパイクを蹴り飛ばし――
今から25年前のことだ。高卒ルーキーの中村俊輔は、ある場面で、新人らしからぬ生意気な行動に出た。本人の言葉を借りれば「くそ野郎」だった。
1997年、横浜でのプロ1年目。当時、チームを率いていたのはハビエル・アスカルゴルタ。スペイン人指揮官は、まだ線は細かったが卓越したテクニックとイマジネーションを備えるレフティを開幕からベンチ入りさせれば、その後も途中出場や先発抜擢など、積極的に試合で使った。
俊輔もそれに応え、最終的にはJ1で27試合に出場し、5得点をマーク。ルーキーイヤーとして上々の活躍ぶりだった。
ただ、納得できないこともあった。スタメンで起用され、ゴールやアシストなど目に見える結果を出しているにもかかわらず、途中交代を命じられる。なんでだよ、と頭に来た。我慢できなかった。ピッチを後にする際、監督とのハイタッチを無視。ロッカールームに戻り、怒りにまかせてスパイクを蹴り飛ばした。
無礼な態度に出たのは、それなりの理由があった。「焦っていたんだよね」。97年にはワールドユースにも出場。3年後のシドニー五輪も視野に入っていただけに、できるだけアピールしておきたかった。
フル出場にこだわった。傲慢になっていたわけではなかったが、実戦を積むごとに“自分はやれる”と確かな手応えを掴んでいた。それなのに、なぜ途中で引っ込めるんだ――数年後、わだかまりはようやくとけた。
場所はグラスゴーのヒルトン。アスカルゴルタと久々の再会を果たした俊輔は、くすぶっていた疑問をぶつける。帰ってきた答えに「それ、早く言ってよ(笑)」と内心思った。
アスカルゴルタは、交代に不満げな俊輔を見て「何を怒ってるんだ?」と不思議がっていたようだが、間違いなくその将来性は高く評価していた。だからこそ、先発させて活躍でもしようものなら、途中でベンチに下げたのだという。
「シュン、良いプレーをした若手ってやつは、そのあとに削られたりするもんだ。原石は、なるべくキラキラしたまま、上に持っていきたい。変に挫折させたくはなかった。自信をどんどんつけさせて、良い状態のまま交代。若いうちはそれでいいんだ」
スペイン流の育成で大切に磨かれた原石は、後に日本サッカー界のトップランカーにまで上り詰める。「今、考えれば、本当に助けられた」と感謝は尽きない。引退後は指導者を志している俊輔にとって、“引き出し”を増やす貴重な経験になった。
そして今季、横浜FCで現役を続ける俊輔は、背番号を「10」から、プロ1年目に背負った「25」に変更。「初心に帰るじゃないけど、25番も好きなので」。年齢を重ね、さらに磨きがかかった自慢の左足で、眩い輝きを放ちたい。
サッカーダイジェスト 2/17(木) 5:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa31ad571dafa9a8e0aae1065e37633139c9621d
写真
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
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FKだけちょっと上手な人という印象しかないわ
>>3
本当にそう思う。
言ってもフリーキックも歴代ワールド10位程度だし、テクニックはJ歴代10位以内レベル。
ウイニングイレブンなら獲得はしないわ。
>>27
すげえ評価してて草
>>3
若い頃は切り返しがうまかった
鋭いサイドチェンジは日本人Jリーガーのトップクラス
ベンチからアシストする目力は世界でも類を見ない
>>3
お前、目と頭どっちが悪いんだ?
FKでも本田以下だよな
>>10
絶っ対それはない
>>10
本田を下げたいわけではなく、FKだけは絶対俊輔が上。
当時世界5本に確実に入るクオリティ
>>10
ネガキャン失敗してて草
>>10
あほやろお前
>>10
むしろ俊輔以上のフリーキッカーてレジェンドになれるぞ
秋田もめっちゃうまいやついるって若手時代の俊輔を評価してたぞ
>>53
うまけりゃいいってもんじゃないということを教えてくれたのが中村、小野だったな
高校時代の期待からするとガッカリなキャリアに終わった
中村俊輔は世界一の選手。
止まっているボールを蹴るだけならば。
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