【黄金の記憶】「逃げ出しそうになった…」15歳の天才・小野伸二を襲った“特大の衝撃”(SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース 【黄金の記憶】「逃げ出しそうになった…」15歳の天才・小野伸二を襲った“特大の衝撃”(SOCCER DIGEST Web) Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
小野 伸二(おの しんじ、1979年9月27日 - )は、静岡県沼津市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグ・FC琉球所属。元日本代表。 FIFAワールドユース準優勝、FIFAコンフェデレーションズカップ2001準優勝、日韓ワールドカップGL1位通過、UEFAカップ優勝、 42キロバイト (4,769 語) - 2020年4月25日 (土) 15:51 |
小学校時代は「けっこうデカかった」
現在はFC琉球でプレーする小野。プロキャリア23年目のスマイルだ。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)
当サイトで好評を博した連載『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースで銀メダルに輝いた“黄金世代”のなかから、
小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、稲本潤一、本山雅志の5人に登場してもらい、その華麗なるキャリアの全容に迫ったインタビューシリーズだ。
ここではGW企画として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。
第3弾となる今回は、日本サッカー界最大級の至宝、オノシンジのサイドストーリーだ。サッカーをはじめたキッカケから、自身のキャリアの礎となった“キヨショウ”での3年間を振り返る。
天才をして「これは付いていけない……」と言わしめたのは──。
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小野伸二がサッカーボールを蹴り始めたのは、「たぶん保育園の5歳くらい」だったという。
いろんなスポーツを遊びでやりながら、近所の友だちとボールを蹴っていた。次第にのめり込んでいくのだが、小学校3年までは特定のサッカーチームに属していなかった。
ある日、そんなシンジ少年に転機が訪れる。
たまたま家の前を通りかかった友だちが「これからサッカーのトレーニングに行くんだ」と言い、「じゃあ俺も付いていく」となり、
彼はグラウンドの片隅でひとりリフティングをしていたという。それがどんなレベルの代物だったかは分からない。それを見たコーチに「一緒にやらないか?」と声をかけられ、
サッカー選手としての第一歩を踏み出すことになるのだ。ちなみに小学校時代は「けっこうデカかった」。
天才少年はメキメキと頭角を現わし、13歳で初めてU-16日本代表に選ばれるなど、サッカー王国・静岡でも知られた存在となっていく。
幼少期のアイドルはディエゴ・マラドーナで、それはいまも変わらない。ボールキープしているときの佇まいが、どことなくアルゼンチン代表のレジェンドを彷彿させるのは、偶然ではないだろう。
「なんかね、ボール持った瞬間にワクワクするじゃないですか。いったいこのあと、なにをするんだろうって。小さい頃からずっと好きですね。いつか会えたらいいなと思ってます」
「一番サッカーを楽しんでた時期かもしれない。いま思えば、ね」
やがて中学を卒業し、“キヨショウ”こと名門・清水市立商業高校(現・清水桜が丘高校)の門を叩く。入部してまもなく、それまでのサッカー人生で味わったことのない衝撃を受けたという。
「小学校から中学校に上がったときって、それはそれでフィジカルの違いとか厳しさを感じたけど、それどころじゃなかった。
すぐに『これは付いていけないな』と思って、最初逃げ出しそうになりましたから。冗談じゃなく。
練習がハードすぎて、フィジカルが通じないうえに無茶苦茶スピードが速い。本当にどうにもならなかった」
全国区のタレントが集う強豪校で小野は、1年時からレギュラーを張った。インターハイや全日本ユースで優勝を飾り、最終学年はキャプテンとして最強メンバーを率いたが……。
高校選手権だけは一度も出場できなかった。シンジの七不思議のひとつだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28b01947740294c9614e220e2dcaec00e7f13c47
5/5(火) 5:32配信
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時代が悪かったな
「もちろん悔しかったけど、自分はこれからプロになるし、そこで成功すれば忘れられるって考えてました。あの頃は。だけど、最近になって思うんですよ。
僕はいまでもサッカー選手でやってるけど、当時の仲間たちにとって選手権ってのは、やっぱり大事な存在だったんだなって。
あそこに行ってる行ってないで、その後の人生がもしかしたら変わっていたかもしれない。そう考えたら申し訳なかったなって思います」
いかにも小野らしい。だが、当時のチームメイトの誰ひとりとしてそうは考えていないだろう。わたしが知るかぎり、メンバーの多くはいまでも誇りに感じている。
小野伸二と同じ校庭で汗を流し、ボールを追い、そして涙を流したことを。
フットボーラーとしての礎を築いたキヨショウでの3年間は、かけがえのない日々だった。
「サッカーの厳しさを教わった3年間でしたね。仲間の大切さ、先輩後輩の信頼関係、チームとして一丸となって戦う姿勢。
毎日毎日、必死に食らいついて、とことん追い込んでました。でもいま思えば、高校の3年間とプロ1年目にかけてが、一番サッカーを楽しんでた時期かもしれない。いま思えば、ね」
そ…礎
元祖サッカー界の腐ったミカン
>>5
未だに小野が腐った蜜柑だったとか言ってる化石みたいな情弱がいるのか
孤立しがちな中田とストレッチやパス練習のペアを組んでたのは小野
中田の居残りシュート練習に最後まで付き合ってたのも小野
小野は控え組でもモチベーションを落とすことなく、アップのランニングでは常に先頭を走り、
紅白戦では控え組の中心として先発組をフルボッコにし、ミニゲーム大会では得点王になった
これだけやって小野が腐ってたと言うのなら一体何をどうすれば良かったの?
ちなみに、バス内でマリカーやってたとか日章旗にサイン書かなかったとかは真っ赤な嘘
宿舎では確かにマリカーやってたけどそれなら中田もマリカー組
>>22
朝から必*コピペw
じゃ腐ったミカン誰なの?
答えないよね
>>30
「私が間違っていました。訂正して謝罪いたします。大変申し訳ありませんでした。」だろ?
高校三年間で全く成長してないとアヤックスに切り捨てられた斧さん
>>6
オマエな、悪意だけでものを言う習慣をつけたら碌なことにはならんぜ・・
ワールドユースのメキシコ戦だかウルグアイ戦だかのヘディング2発が印象的だわ
ブラジルに勝った優勝候補メキシコに2-0完勝
ウルグアイ戦は2-1で勝利
決勝でスペイン相手に0-4完敗したんだよな
テクニックはあるけどサッカーってそれだけじゃないからなあ
スピード フィジカル スタミナ 献身性 メンタル
テクニックある人間ばかり重宝する風潮いい加減やめた方がサッカー界にとっていいと思うけどな
どう考えも長友や大久保や中沢の方が俺にはいい選手に思えるけど
大久保はテクニシャンだろ
もともと中盤の選手だし
小野スレは伸びる
スーパープレーの動画が貼られ
クライフが批判した、いやそれ違う本当は絶賛したの応酬があり
中村や遠藤とどちらが優れてるかの議論が起こり
代表を強くしたか効果なかったかの言い合いになり
アヤックスのスカウトの話も出つつ
最終的には天才だけどやっぱ怪我がね、で1000に到達
ボール扱いは凄かったけど推進力全くなかったし前目じゃ無理だった
>生年月日: 1979年9月27日 (年齢 40歳)
>ちなみに小学校時代は「けっこうデカかった」
早熟天才系は4,5.6月生まれが多いんだが
9月生まれって普通だな
50才超えたカズより出場時間が少ない小野
いつまで現役しがみついてんだよ
コンサドーレ在籍の時1日ローソン店員やらされていたな
他の小学生より一回りデカい系は生まれた月とかは関係ないな。
俺もサッカーやってて小学生の頃一回りデカい人いてやっぱり足も速いからバケモノ扱い。高校生になったら小学生の頃全く無名の俺の方が追い抜いてた
2006ドイツW杯に関する中田浩二の証言要旨
(出典 i.imgur.com)
・小野は性格的にもオーストラリア戦の責任を一番感じていたと思うが、努めて明るく振る舞っていた。自分(中田浩二)もいつもと同じように一緒に居て、いつもと同じように話をした
・中田ヒデは自ら輪の中に入ってくるタイプじゃないから、ドイツ入りしてからも小野や自分が中田ヒデに声をかけて一緒にボール廻しをしていた
・中田ヒデがマスコミ伝いに「今のチームは仲が良すぎる」などとチームを批判してそれが新聞記事になった。何か意見があるなら直接言って欲しかった
・記事が出てからも中田ヒデのことを誘ったが拒否されたのでそれ以降は誘わなかった
・中田ヒデを無視していたチームメイトなんていなかった
・あのチームで中田ヒデと一番多く話していたのは小野や自分といった所謂黄金世代グループだ
・先発組は紅白戦でも上手く行っていなかった
中村俊輔
「俺が嫉妬したのは伸二だけ。天才、センスの塊という言葉が全部当てはまる。代表で一緒にやれて良かった。それはプレーだけでなく人間性も含めて。彼はザ・キャプテン。ザ・リーダー。」
https://mobasakacm.jp/interview05
(出典 i.imgur.com)
福西も「伸二はマジで優しい。本当に良い奴」って言ってた
もしも2chの噂通りにドイツのとき小野が控えで腐っていたのなら、レギュラー組だった俊輔や福西が小野の人間性を褒めるわけがない
もう*ーリフティング芸人賛美してんの日本くらいだけどな
欧州の若手のトップは驚愕のテクニックは勿論それ以上に戦術眼やスピードフィジカルがオリンピック選手レベルに達してるからな
ハーランドやムバッペのスプリントは60メートル走の世界大会ファイナリストレベルだぞ
日本もむしろサニブラウンみたいなのに技術教える方向にしないともう太刀打ちなんか出来ないよ
>>26
リアルとサッカーゲームは違うんだよ。物凄く浅すぎ
【黄金世代・秘話】小笠原満男が明*、オノシンジの図抜けた「人間力」
https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=26836
「あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」。
>バーレーンに移動した直後の練習で、小野が右足の甲を骨折してしまう。2日後のバーレーン戦はおろか、長期離脱を懸念されるほどの怪我だった。
>ミツオは、よく覚えているという。
>「シンジ自身、出れなくなってそうとう悔しかったと思う。それだけ大事な試合だったからね。でもさ、怪我した後なのに心配させまいと、食事の時とかでも、みんなの前でニコニコしてて……。
>その直後、俺が代わりに出るような雰囲気になって、声をかけてくれた。『頑張れよミツ、応援してるからな』って。このひと、本当にすげぇなと思った。
>ずっとシンジが出てて俺が出れなくて、多少なりとも悔しいとか思ってた自分が恥ずかしくなった。
>バーレーン戦は、シンジに頑張ってくれって言われたから、頑張っただけだよ。シンジの代わりを果たしただけ。
>自分の感情を抑えて笑顔で振る舞って、代わりに出るヤツに頑張れって……。感じるものはすごくあったし、いまでも忘れられない」
トルシエも小野の人間性を絶賛
https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201005130001-spnavi
(出典 i.imgur.com)
>小野だ。彼は冷静かつ陽気なキャラクターだ。スターティングメンバーであってもなくても、彼の気持ちが変わることはないだろう。
>試合に出ればどのポジションでもこなすだろうし、ベンチであっても不平を言わずにほかの控えメンバーをまとめることができるだろう。
>彼の存在がチームの若手に与える影響は、とても重要だと思う。
【小野呼びかけ!柳沢に寄せ書き】
2006年4月1日(土) 6時6分 スポーツニッポン
頑張れヤナギ!リハビリ中の柳沢へ寄せ書きを贈ることを提案した小野
>ジーコジャパンが鹿島FW柳沢敦(28)に励ましの“寄せ書き”を贈ることが分かった。30日のエクアドル戦に勝利した日本代表は共通の思いで結束していた。
>事前の大分合宿で、25日に右足第5中足骨を骨折した柳沢のためにメンバーの言葉を添えた色紙を贈ることを決定。
>代表全体で負傷した選手を励ますのは極めて異例。エースの離脱は衝撃も大きかったが、W杯に向け復帰を願う思いで一丸となった。
>音頭を取ったのが、チームリーダーの小野だった。「小野が発起人のようです」とチーム関係者。
>坪井も「伸二の方から何かしようという話になったんです」と打ち明けた。色紙は未完成だが、チームメートも賛同。
>今後、リハビリ中の柳沢に届けられる方針という。
まあ未だにミカンが誰だったかわからん
実質代表追放扱いの小野と小笠原以外にも、
ジーコと癒着して好き勝手やっていたヒデと、
ジーコの寵愛を受けていた俊さん
ただ、一番得をしたのは、シンジや小笠原が抜けたお陰で、
代表レギュラーに定着した遠藤(笑)
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